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東京地方裁判所 昭和51年(タ)407号 判決 1980年1月29日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 片山和英

被告 甲野秋子

右訴訟代理人弁護士 田中峯子

主文

一  昭和四二年三月二七日名古屋市中村区長に対する届出によりなされた原告と被告との間の養子縁組が無効であることを確認する。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

昭和四二年三月二七日名古屋市中村区長に対する届出によりなされた原告及び夫太郎(昭和五一年二月二三日死亡)と被告との間の養子縁組は、無効であることを確認する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、亡甲野太郎(昭和五一年二月二三日死亡、以下太郎という)と昭和二九年五月一七日婚姻した。

2  被告は、原告が訴外長女春子(以下春子という)の勉学や夫太郎の仕事等の必要から東京に在住するようになった後、昭和三五年ころから太郎の仕事の事務員として働いていたが、次第に親密になって被告の肩書住所地で同棲を始め、愛人関係を続けるようになった。

3  その後、昭和四二年三月二七日名古屋市中村区長に対する届出によりなされた原告及び夫太郎と被告との間の養子縁組(以下本件縁組という)がある。

4  しかし、本件縁組は単に被告に相続権を与える為になされたものであって真実養子縁組をする意思はなく、もちろん原告も被告との養子縁組に同意したことはないし、右届出書に原告が署名押印したこともない。又、太郎と被告との間にも養親子関係を結ぶ意思はなかった。

5  よって、右届出による養子縁組は無効であるから、その確認を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因第1項は認める。

2  同第2項は否認する。

3  同第3項は認める。

4  同第4項のうち、原告が同意しなかったこと及び署名押印しなかったことは不知、その余は否認する。

三  被告の主張

1  本件養子縁組届作成当時、原告は太郎に被告を養子とすることを承諾していた。

被告は太郎より養子になってくれと懇願され、承諾して届出用紙を作成する際、養母の欄を記入するにあたって被告が太郎に「いいんですか」と尋ねたところ、「ああ、ええといっていた」と答えたので、被告が原告の名を記入し、太郎が自分の印の他に一個甲野の印を持っていて養父、養母欄に押印した。ただ、以前に太郎から、弟の訴外二郎も賛成しているから同人の養子になって叔父と姪の関係になろうといわれ、その旨の手続をしたところ、後日二郎から同意したわけではないと文句を言われて籍を抜いたことがあったので、被告としては太郎に原告が承諾しているかどうかを確かめた。そして被告としては、昭和三〇年に被告が始めて名古屋に来たとき原告が一人で名古屋駅まで出迎え、翌日家を出たまま一度も名古屋へ帰らず、被告が名古屋に居住していることにも一二年間何一つ文句をいわなかったので、太郎からの離婚の申し出を拒否した代りに生活費を受け取ることで養子の話を承諾したものと考え、太郎の「原告もええといっていた」との言葉を信じたものである。

2  仮に届出当時原告が承諾していなかったとしても、黙示の追認があった。

原告は、昭和四七年に春子が結婚するにあたり、戸籍謄本を取り寄せて被告が養子として入籍しているのを知ったにもかかわらず、太郎が死亡する迄の四年間に一度も太郎や被告に抗議していない。これは養親子関係が日一日と形成されていくのを黙示的に追認したものということができる。

3  仮に原告に養子縁組をする意思がなかったとしても、民法七九五条は縁組の届出受理要件を定めたにすぎず、縁組も個人と個人との法律関係であるから、その有効・無効はそれぞれの当事者について各別に定められるものであって、いったん受理された以上、縁組意思のあった太郎と被告間の養子縁組は有効である。

4  仮に夫婦の一方に縁組意思が欠けているとして縁組全部が無効となるとしても、本件縁組には縁組意思のある太郎と被告との間の縁組は単独で有効に成立したと認められる特段の事情がある。

(一) 太郎には最初名古屋に訴外マツという妻がいたが、太郎が終戦後出張先の山口で原告と知り合い、出張のたびに関係を持っていたところ、昭和二四年に原告が春子を出産したため、子供のいなかったマツは仕方なく昭和二八年離婚に同意した。しかるに原告は昭和二八年ころ初めて名古屋に移り住み、翌二九年婚姻の届出を行なったものの、昭和三〇年にはもう太郎と不仲になり、夫婦共同生活を放棄して東京の実母を慕って上京している。その後は原告と太郎の間で夫婦としての関係は全然なく、太郎が出張の帰りに春子の顔を見るため月に二、三日原告方へ寄っていたことがあったとしても、原告が名古屋の太郎方へ来たことは一度としてなく、二人の婚姻生活は昭和三〇年ころに全く破綻してしまっていた。このような場合、夫婦として共同の縁組意思がなくても、家庭の平和を乱さない。

(二) 養親太郎と被告との間には一〇年以上にわたる親子としての共同生活の実体が形成された。

被告は最初原告と離婚するとの太郎の言葉を信じて昭和三〇年に名古屋に移り住んだものであるが、昭和三五年には男女の関係を絶ち、昭和三七年から同四二年までは叔父と姪の関係として、同四二年から太郎の死亡する同五一年までは父と子の関係として生活を共にした。成年後の養子縁組における共同生活は、精神的生活の充足と経済的生活の充足が混然一体となったものであり、相互信頼のもとに二人の家庭を守り築く生活を意味し、養親が老年に近づけば近づく程その共同生活は、養子が若年である場合と同様に監護扶助の生活へと転化していくものである。

被告は太郎と協力し、二人で一家族として○○○○商店を経営、発展させ、太郎が病気となり死亡するに至る一年間は本当の親子として献身的に看病した。

(三) 養親太郎と被告との間には、親子関係の実体を創設しようとする意思が確固として存在した。

太郎と被告の仕事は注文販売であるから、他の会社のように設備拡大の為に銀行から借入れをするとか、又姓が不一致であると社会的信用が低下して商売が成り立たないとかの事情はなく、二人の協同作業が商売を継続させていたものである。

そして、被告と太郎との間に肉体関係があったのは昭和三五年までであって、本件養子縁組はその七年後に結ばれており、いわゆる妾養子ではない。太郎は、自分の経済生活の基盤を担い、日常生活の世話を見て娘のように支えていた被告を養子として、老後の面倒を見てくれるよう懇願したものであり、当時二人は既に親と子としての協力し合い助け合って生きていく一つの家族体としての実体を形成していた。

(四) 原告は、昭和四七年に本件養子縁組を知りながら太郎が死亡するまで一度もその効力を争っておらず、養親子関係が日一日と形成されていくことを黙示的に承諾したことは本件縁組が夫婦の平和を乱すものではないことを証明している。原告は太郎に抗議していたと言うが、被告は太郎からそのようなことは一度も聞いておらず、春子結婚後は太郎はほとんど原告方へ行っていないので、そのような話がなされたかどうかも疑わしい。

(五) 原告が本件縁組の無効を言い出したのは、太郎の財産が目的と考えられるところ、配偶者としての原告の相続分は被告と太郎との縁組の有効、無効にかかわりなく不変であってなんら害されるものでなく、直接的利害を受けるものではない。被告名義の財産についても、原告はそれが太郎の財産である旨主張しているが、これは被告の固有財産であって別訴で係争中であるから、本件縁組の有効、無効に影響を与えるものではない。

(六) 向老期に達した養親が老後の生活安定の為に養子縁組を結ぶことは、成人した養子がその養親を実親のように思うならば、仮に社会保障が完備したとしても、精神的に満たされない一人暮しの老人に家庭を与え、暖い人心交流のうえでの安定した生活を保障するためにも単独縁組の成立を有効と認めるべきである。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1  被告の主張第1項は争う。

原告は被告を養子にする話など聞いたこともないし、承諾したこともない。原告は被告を名古屋駅に出迎えてなどおらず、お彼岸や盆には墓参りに名古屋へは行っていたが、妾のいる○○町の家へは行かなかっただけである。又太郎から離婚の話など出ていない。

2  同第2項は争う。

原告は昭和四七年に被告が養子となっていることを知ってからは、太郎生存中は被告に直接抗議はしていないが、それは太郎に対し何度も被告の籍を抜くよう頼んだところ、間違いなくきれいにするという返事であったので、裁判等をするより太郎が手続するのを待っていたものである。

同第3項の主張は争う。

3  被告は個人意思を絶対視する旨主張するが、仮に夫婦養子を認めず片方の配偶者について有効とした場合、他方配偶者にとっては夫婦の同居、扶助義務などから子と認めたくない相手に対しても事実上子供同様の生活を義務づけられることとなって、養親子関係を認めない配偶者の個人意思を無視する結果となるのであって、民法七九五条は効力要件でないとする被告の主張は失当である。

4  本件縁組には、例外的に太郎と被告間を有効とすべき特段の事情は存在しない。

(一) 原告と太郎の婚姻生活は破綻していない。

原告が東京へ移り住んだのは、太郎の仕事の都合と春子の進学を考慮したからであって、当時二人の間で離婚の話など出ておらず、太郎は毎月平均一〇日位東京の原告宅で生活しており、前述したように原告も墓参りに名古屋へ行っている。

(二) 同4の(二)、(三)の主張は争う。

本件養子縁組は、銀行関係、会社経営の為には太郎と姓が同一である方が便利であるとの理由によりなされたもので、このことは全く親子関係を期待していない訴外甲野二郎の戸籍に勝手に養子として入籍した事実からも明らかであり、このように方便として仮装してなされた本件縁組は縁組意思がなく無効である。又、太郎はいわゆる妾養子をする意思で本件縁組をしたのであるから、妾養子は真の縁組意思でなく、これは無効と解すべきである。

(三) 同4の(四)は争う。

原告は被告本人には直接抗議していないが、太郎に対し再三被告の籍を抜くよう申し入れている。

(四) 同4の(五)、(六)の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、本件縁組の届は原告の意思に基づかずに作成されたと認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

二  《証拠省略》によれば、昭和四七年三月原告と太郎間の長女春子が結婚するにあたり戸籍謄本を取り寄せたところ、被告が養子となっていることが原告の知るところとなり、以後原告は被告には直接抗議していないものの、太郎に対し被告の籍を抜くよう申し入れていたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。よって原告が本件縁組を追認したとは認められない。

三  ところで、夫婦共同縁組においては、夫婦の一方に縁組意思がなかった場合には、原則として縁組意思のある他方についても縁組は無効と解されるところ、夫婦共同縁組の趣旨に鑑みると、夫婦の一方の意思に基づかない縁組の届出がなされた場合でも、その他方と相手方との間に単独でも養親子関係を成立させることが、一方の配偶者の意思に反しその利益を害するものでなく、養親の家庭の平和を乱さず、養子の福祉をも害するおそれがないほど特段の事情がある場合には、縁組の意思を欠く当事者の縁組のみを無効とし、縁組意思のある他方の配偶者と相手方との間の縁組は有効に成立しうるものと解されるので、右特段の事情の有無につき判断する。

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  太郎は、昭和二三年ころ出張先で原告と知り合い、昭和二四年七月二人の間に春子が生まれたが、当時太郎には名古屋に妻マツがいたため、原告は、太郎の出張先で同人を待つ生活を続け、昭和二八年ころマツが離婚に同意したので太郎の生活の本拠地である名古屋に移り住み、昭和二九年五月に太郎と婚姻届をしたが、翌三〇年一一月には当時幼稚園に通っていた春子を連れて実母の住む東京へ行き、以後名古屋へは帰っていない。

原告は、上京後、太郎の仕事にさして関心をもったり関与することはなく、太郎の死亡前の数ヵ月間の入院期間中に見舞に来たのは三、四回であって、看病をしたことはない。他方太郎は、毎月の生活費は原告に渡していたものの、原告が上京したころより同人との離婚を望み、昭和四七年三月に春子が結婚するからと原告と共にお墓参りに来たときも、原告を残して春子や被告らと共に芝居見物に行き、太郎の妹から原告が来ているから来てくれと電話を受けても、原告に会いに行こうとはしなかった。

2  原告の上京後、被告は太郎と一緒に住み、昭和三五年ころまでは両名の間に肉体関係があったが、以後は協力して仕事をする間柄となり、被告は太郎が病気勝となっていくにつれ、生活の世話をしたり看病に尽くすようになった。太郎は、被告が結婚等で自分のもとから去って行くことをおそれ、昭和三七年には弟二郎に無断で同人の籍に被告を養子として入籍させて自分の姪とし、二郎から反対されるや原告に無断で被告を太郎夫婦の養子として届出をし、原告から被告の籍を抜くよう頼まれても被告にその話はせず、籍を抜こうともしなかった。本件縁組届がなされて以降、太郎と被告は仕事の共同経営者として、又親子として生活してきている。

3  原告は、昭和四七年に戸籍上養母となっていることを知り太郎にただしたが、同人が除籍するからと言うのでそれ以上追及せず、被告に対しては太郎生存中は一度も直接抗議をしたことはなかった。

4  被告は、太郎名義の財産については一切相続権を主張していないし、又、原告の妻としての相続分は被告が養子であるか否かに影響されない。

右のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定の事実によれば、太郎と原告の婚姻生活は実質わずか一年余りしかなく、遅くともそれから一〇年以上たった本件縁組のなされた昭和四二年ころには破綻していたと認められ(太郎が月に何日か出張の際に原告方へ寄っていたとしても、前記事情から見て、それのみでは右認定を動かすに足りない)、一方、本件縁組に対する原告の態度も、その反対はさほど強いものではなく、被告が自己の養子とされることについては承諾しないものの、太郎の養子とされることは黙認していたとも解され、又、太郎が単独でも被告と養子縁組をして養親子関係を成立させる意思を有したことは明らかであるし、更に、このような単独の養親子関係を成立させても原告に財産上の不利益を与えるおそれがない本件においては、縁組意思を欠く原告と被告間の縁組のみを無効とし、縁組意思のある太郎と被告間の縁組は有効に成立したものと認めるのが相当である。

三  以上によれば、原告の本訴請求は、原告と被告間の養子縁組の無効確認を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 古川行男)

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